イワシをいただいたので、南蛮漬けにしました。夏っぽくて良き。
実は以前から、困っていることがあります。
それは誰のせいでもなく、この世とヨガの宇宙観とのギャップによることなのですが、
たとえば、誰かの調子が悪くなったり、病気になったりしたとき、心配な気持ちになりますよね。
でも、なんで心配になるのかな?って考えたときに、
それは「死の恐怖」と「生への執着」なんだよな、と思うのです。
お父さんが亡くなるときも、葛藤がありました。
ヨガでは、私たちの本質は「意識」であって、この体はこの世で経験をするための一時的な乗り物だといわれます。
私たちに起こる全ては、過去生を含めて自分がしたことが返ってくるだけの因果応報。
病気も原因があって起こること。
いくら努力をしても、ケガも病気もなるときはなるし、死ぬ時は死ぬ。そしてまだ生きなければならないなら死なない。
そんな世界観でしばらく来てしまったので、死も不幸も、全てはその人に起因するもので向き合うべき課題なのだと思っています。
長生きが良くて、早死にが不幸だとも思わないし、その人の人生を全うできたなら働き詰めでも貧乏でも何よりだと思います。
本人がちゃんと向き合ってどう対応するか。
治すことよりも、どう向き合うか。
多分こちらの方が大事なんだと思います。
心の痛みも、病気やケガの痛みも、同じエネルギー。
それに反応するのもまたエネルギー。
エネルギーの反応が次の現象を起こし、それにまた反応して新たなエネルギーが生じて…。
その繰り返しでこの世界は成り立っています。
どんな反応をするか。怒ったり、攻撃したり、感謝したり、許したり…。それが次のカルマを生み出します。
宇宙がそうやってできているのだから、従うしかありません。
アーユルヴェーダでは、「病気はなくなる」というそうです。
症状があっても、「病気ではない状態」があるとか。なんとなくわかります。
自分に起こることに抵抗しない。
次にどう反応するかは自分で選択できる。
そんな考えの私は最近、「早く治ってね」とか「絶対大丈夫!」とか言うたびに、心のどこかで、それは生への執着じゃないか…。と思ってしまうのです。
相手が元気でいてほしいと願うのは私の勝手な願望で、全ては必要だから起こっているだけなんだけどな、と。
イヤなことや辛いことは、カルマを解消するチャンスなのだからむしろ喜んで受け入れるべきなのに、避けようとしている。
この世と宇宙のギャップをはじめはおもしろい、楽しい、と思っていましたが、歳を重ね病気や死が身近になるほど、複雑な思いが湧いてきます。
だから私は、周りの人に何か起こったら、その人の人生を励まして応援しようと思います。病気や死を「負け」ととるのではなく、人生の果実として、自分の一部に育て共に歩んでいけるように。
私自身だっていつどうなるかわからないし、覚悟なんてできてないから、いざとなったらうろたえてみんなの前で泣いたりするんだろうな…とか思いますけど、
それも人生の勉強と受け止めて、頼りなくも歩いていこうと思います。

