この本はチベット密教のラマ(高僧)の自伝です。
非常に引き込まれて深いところに何かがグサっと刺さってしまい、感想といってもうまく言葉が見つからないのだけれど、
人間はなぜ生まれて、何のために生きて、そして死んだらどうなるのか。
そんなことを考えてしまうなら、何かヒントをもらえると思います。
ヨガは仏教のように「輪廻転生」という考えのもとで成り立っています。
私たちは記憶を持った魂(スークシュマシャリーラっていうそうです)で、何万回も、ひょっとしたら何億回も生まれ変わるんですって。
それだけ生まれ変わっても尚、この輪廻、つまりカルマの輪から抜けられず、どっちがエラいとか、金持ちだとか、バカだとか、幸せとか、そんなことにこだわりながら生きています。
時々、「何のために生きてるんだろう」「何で生まれてきたんだろう」と思うことはありますか?
それは視点を変えるとはっきりわかります。
私たちは、この世に生まれた時が始まりだと思っているから、たった数十年から百年くらいの間で、この世の価値観に支配されて、この世の「成功」や「幸せ」を求めます。
…死んだら何にも持っていけないにも関わらず、名を残したいとか使いきれないほどのお金や物を所有したり、魂の成長と関係のない経験を欲しがります。
刹那的な快楽を求め続けてもどこか虚しいのは、それが本当の幸せには繋がっていないから。
だからその「一時的にな幸せ」がずっと続くようにしがみつき、追いかけ続けます。
でも、もし私たちが輪廻からの解脱を目指す「魂」だとしたら。
普段だいたい魂で、たまにこの世に生まれて少ししたらまた死んで、魂でいるのが普通だったら。
魂のままいれば苦労なんかしなくていいのに、わざわざここにいるのはなんで?
それは解脱したい魂からしたら「成長するため」でしかありません。
障壁だらけのこの世は学んで成長するためのチャンスがいっぱいです。
過去世で自分が積んだ「悪業」と呼ばれるカルマを回収する、絶好のチャンスです。
だから嫌なことが起こるのは全然悪いことじゃない。魂からすれば。
そう考えると、今ここに生きる意味や、どう生きたらいいかをあまり悩まなくなるかな、と思います。
どう生きたらいいのか、何をしたらいいのか、について少し続けていきます。
私の場合ですが、
私は正直、旅行も、高い車や服もレストランもホテルも、スポーツ観戦も全然興味がありません。
でも、少しは知っていないと人と話ができないとか、相手にされなくなるかもとか、そんなことをいつも心のどこかで気にしていたと、最近気がつきました。
この世で生きるなら、周りのみんなと仲良くしたいし、そうしないと生きていけないと思い込んで、無意識に自分の価値観ではないものも取り入れていました。
それはダメではないのだけれど、でも周りの人たちは別に私のそんなところを重視しているわけではないんですよね。私にラグジュアリーは求めてないよね、って。
私がみんなに「こう見てほしい」と思うことと、みんなが私に求めるものは違っていたりします。
それは、この前AIにプロフィール写真を作ってもらった時気がつきました。
できた写真を何枚か妹に見てもらったら「これは似てるけど別人だね」と言われた一枚があって、私からしたらどれも同じに見えたのでびっくりしたんです。
他人は私が思っているようには私を見ていない、と。
「なりたい自分と、求められる自分の役割を一致させること」。
何をすればいいかを見出すには、まずここからだと思います。
お金を出しても手に入らない、「その人」がやらないとどうにもならないことが必ずあると思います。
そして、それは自然と自分が納得できることで、やっていると心地よいこと。
時間やお金や心を無理しなくても可能なこと。
もしかしたら相手はたった一人かもしれないし、何千万人、何億人かもしれない。でもそんなのはどっちでもいい。
めんどくさいとか、雑用だとか、自分の仕事を見下さない。
時短、コスパ、タイパなんて、どこかの仕掛け人が儲けるために作った幻想だと、私は思います。
魂の時間軸からしたら、そんな数分どうでもいいから逃げずに成長してよ、って話です。
心の中に「教え」はありますか?
逃げたくなった時、それを拠り所にできますか?
「自分の考え」というのは、単にその人が持っている”情報の集まり”だそうです。
それが「成長の役に立つ正しい情報」でなければ、自分の考えなんて持っていても成長できない、と。
良き教えと巡り合えるよう、祈っています。
ちょっと今日は難しかったでしょうか。
私も頭がかゆくなってきちゃった。

梅雨空も、緑が生き生きして気持ちがいいものです。
あ、16時間プチ断食の成果が出てきました♪そのうち報告します⭐︎

