失くしたと思っていた本が、普通に本棚にありました。

私たちは何のためにヨガをしてるのか、ということはヨガを始めてからいつも考えていることです。
ヨガのために本来すべきことを疎かにしてはいけないし、
ヨガを自己満足の道具にすることも愚かだと思うのです。
「それは、人それぞれで自由でしょ?」という意見もあるとは思うけれど、
じゃあ自由ってなにを指してるの?というのも、私にとってはいつものテーマです。
個人の幸せや自由はとても大切だけれど、
それはいつだって周りの世界とは切り離せないものだから、
誰かが不当にガマンしなければならないような、
誰かの犠牲の上に成り立つような幸せや自由はウソだ、というのが私の考えです。
だから私は、自分の幸せや自由を考えるとき、「自分も周りも幸せであるには」というのを前提に考えるようにしています。
今自分に与えられている環境をフル活用して、周りと共有できる方法を探します。
スムーズに進めばそれは正解、とします。
難航するならそれは、「すべきでないこと」かもしれないと疑います。
45年程生きてみて、結果を出すために必要な時間はゆっくりやっても20年です。
多分その間に何度も何かしらのサインが示されるでしょうからそれを見逃さずに、
その都度、次はどちらに行くかの参考にします。
そういうやり方を教えてくれたのが、ヨガだったと思います。
ヨガのポーズもだけれど、”ヨーガというライフスタイル”によって導かれたように思えます。
あくまで私たちは人生を豊かにするためにヨガをするのであり、
ヨガによって健康になるわけではなく、
“ヨーガというライフスタイル”を選択することで、その生き様が「健康的」と他人の目には映るのだと思うのです。