昨日はちょっと嬉しいことがありました。
時々練習に通っているピラティスの先生とお話しする時間があったからです。
いつも「ステキな人、」って思っていましたが、なかなか二人でお話する機会がなかったのでラッキー。
熱心な先生との会話は多くの学びがあります。
先生に「ヨガスタジオって鏡がないところ多いですけど、ヨガってあんまり自分のこと見ないんでしたっけ?」と聞かれたので、私なりの答えを皆さんにも共有したいと思い今日は書いています。
ただ、あくまで私目線での考えなのでご参考までにお願いします。
ヨガでは、必要な意識を向けられるようになれば勝手にアーサナ(ポーズ)は整っていくはずなので、「見てカタチを整える」という作業は敢えて無くてもいいと思います。
「見て安心したい」という欲望をコントロールすることも自分を律するための良い練習になるし、他の感覚器官を養うことにも繋がるし。
客観性があまり高くないうちは、一人で練習するよりも正しい知識や技術を持つ先生に教えてもらうことを優先するといいと思います。
(ちなみに私は10年経っても客観性に全然自信がないので毎週先生に見てもらっています。)
アーサナは私の経験上、表面的な筋肉の動きというより深層の意識から生まれるように思えます。
そういったやり方の方が、結果的に体にも心にも安全で、継続的で、応用が効きます。
余計な力を抜いて。リラックス。
…ヨガの先生がよくかける言葉ですが、そこには「表面は」という前提があります。
引締めるところは締めています。そこはピラティスと同じだなぁ、と思います。「コア」と呼ばれるエリアですね。だから呼吸との連動が大切。
ヨガとピラティスってどう違うかなぁ?とピラティスを始めた頃、よく比べては考えていましたが、
初めて教わったピラティスの先生が「ピラティスは体幹のトレーニングです」と教えてくださったので、
「じゃあヨガは、それに脚と腕を連動させるものかな。」というのが答えの一つ。ヨガでは足裏や手のひら、目線など末端の意識もすごく大事です。
それから、ヨガはピラティスよりだいぶ抽象的です。
ピラティスはゴールがちゃんとあるので目標を定めやすいし、やった分だけ成果も出やすいと思います。
一方でヨガは、ゴールがない。。。
やればやるほどやることが増えていくし、できるようになるほど「できない」という感覚になりがち。
意識はどこまでも深めていくことができるからです。
でもおそらく、ピラティスだって極めようと思ったらヨガと変わらないだろうな…。
もっと言えば、ヨガは”アーサナが全て”というわけではなく「物事に対する心のあり方」なので、アーサナだろうがピラティスだろうが、それこそゴルフでも水泳でも料理でも歌でも仕事でも、「ヨガにできる」といえます。
瞑想も呼吸法もヨガの一部ですしね。
日々の思考言動全てがヨガになるので、ヨガは壮大です。
それだけにヨガは理解しにくいし、いつまでどれだけやったらいいのかは個人の意志に委ねられます。
私はヨガもピラティスもどっちも好きです。それぞれの良さがあって、それをお互いに活かしながら上達させるのが楽しいなぁ、と思います。
昨日お話したとき、先生がピラティスを始めたご年齢と私がヨガを始めた歳がだいたい一緒だということがわかり、なんだか嬉しくなりました。
なぜって、先生は最近「筋肉の大会」というもので優勝したそうで、私もそのくらい経験を積んだ頃になにか私らしい成果が出ていたらいいなぁ、とやる気がふつふつと湧いてきたから。
ところで「筋肉の大会」ってなに…と思いつつも聞きそびれてしまいました。
私が教わってきたピラティスの先生方はみなさんスレンダーで、しなやかで美しいプロポーションです。私の妹は「見えない筋肉がついてる」なんて言ってましたが、本当にその通りです。
そんな先生が”筋肉で優勝”ですから、やっぱりどんな大会なのか気になります…。