やりたいことと日常の距離

エビスのコラム

毎日楽しみに聴いているニッポン放送の「あなたとハッピー」に出演していた”モリタク”こと森永卓郎さんが亡くなり、とっても寂しいです。

悲しみのあまり私は、他の番組でもモリタクを悼むコメントが聞けるのではないかと、いつもは聴かない番組も片っ端から聴いてみたら、辛坊さんがこんなことを言っていました。

「森永さんはやりたいことと日常生活が見事にシンクロしていたから最後までやりたいことができたのだろう」と。

やりたいことと日常のシンクロ…。そっかー。

私がモリタクを「なんかいいぞ」と感じていたのは、干されても叩かれても自分に正直だったから。周りにどう思われても信念を貫く覚悟を持っていたから。

今の時代それができる人って(しかもいい歳したオジサンが)なかなかいないよなー、って尊敬していました。

がんばっている人を見ると応援したくなります。

その人がやるべきことをがんばっている時というのは、本当に美しく励みになります。

「何をして、何をしないか。」

このテーマはとても大切です。

私には苦手なことがたくさんあります。

以前は何でもできた方がいいかなぁ…と思って、多少の努力はしていたのですが、何回やっても「やっぱりやらなきゃよかった」と後悔するのです。

しかも、それらをやるべきなのか、やらなくてもいいのか、自分でもイマイチわからない。

長い間モヤモヤが続いていました。

でもそんなある日、「それでもここまでやってこれてるじゃん、」って気がついたんです。

そうしたら、苦手でやりたくなくて私じゃなくてもいいことを無理してやっても、お互い楽しくもなければ説得力もなくて、それって逆に評判を落とすことになるかもしれない、ということにも気がつきました。

どんどんできるようになること、ますます上達すること、完成度を上げ続けること…これって、どこまでやればいいのだろうか。

そんなことをいつも思っていました。

誰もが一番を目指さなくてもいいのに、目指さないこと、努力しないことを「良くない」とつい思ってしまう自分にだいぶうんざりしていた時期でもありました。

そこには、断るのが面倒でやりたくないことをガマンしながらやっていた自分もいました。

昔教わった大切なことがあって、

それは「幸せになるために必要なものはすでにここにある」ということです。

それってまさに、「日常の中にある」ということ。

持っていないものをがんばって次々に手に入れることを否定はしませんが、それが本来願う生き方にシンクロしているかどうかが大切なわけで。

等身大でも十分幸せに生きることは可能だったんだっけ、ということをまた思い出しました。

久しぶりに尊敬できるかっこいいオジサンに出会えてよかったなー、と思いました。

いい加減なバッグをつくりました。一体どこへ持っていくつもりか。

ちょっとまとまりがない感じになりましたが、そういう日もあります。

ドラマ「ホットスポット」でも観て笑ってください。明るい気持ちになれるかも。

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