銀色夏生と、私。

エビスのひとこと日記

久しぶりに銀色夏生の本を買いました。2019年のやつ。

銀色夏生の本とは小4のときからの付き合いです。

同級生に勧められて初めて買った詩集をきっかけに、だいたいの詩集は買い集めました。

その後、「つれづれノート」というエッセイを読むようになったのは短大の頃から。

思えば銀色夏生は、私の世界観や人生観の形成に少なからぬ影響を及ぼしています。

ところで、昨日なぜこの本を買ったのかといえば、このブックカバーをもらうため。

ご当地おみやげブックカバーフェアというのをやっていました。

「なつかしいなぁ…」と本屋でパラパラとページをめくっていると、なんだろう、いつも私が考えているようなことばかり書いてあるので、

それで「ああ、やっぱり私はこの人の本から大きな影響を受けていたんだなあ」と真摯な気持ちでじっくり読みたくなりました。

好きなことを仕事にしたい、

孤独を楽しみたい、

静かに世界と向き合いたい、

それぞれのやり方を尊重したい、

いつも浮かんでくる強い想いがあるのに、社会の価値観とは結構ズレているせいか、若い時はそれを上手く表現することもできずストレスばかりが溜まって、反動で周囲と摩擦を起こしたり、乱暴な態度になってしまうことも多かったなぁ、と思います。

反省は常で、自己嫌悪、自己否定がクセになり、障壁がなくなっても今度は自分で自分を邪魔していたような、そんな時期が長くて辛かったです。

今はもう、いろいろ整理できたので他人にもまあまあ上手く伝えることができるようになったし、そんなに「わかってもらいたい」とも思わなくなったからラクです。

それになにより、45年も生きればそれなりに対処もできるようになるものなんですね。それは生きてみてわかりました。

途中でヨガを始めたことは、私にはとてもよかった。

ヨガは、「本当はどうなの?」という疑問から逃げずに答えてくれるから。

自分の真実にとことん向き合えるから、いつだって私が本当に望んでいることを突き止める助けになってくれます。

10代の頃は、「ああ、銀色夏生みたいに詩を書いて本とか出して暮らせたらいいのになぁ」と憧れていました。

でも、そんな夢見事ばかり言うんじゃない、とまあ、大人には言われますよね。現実は甘くないぞと。

たしかにそれはその通りなのですが、

私としてはまた別の意見があって、

そうはいっても理想を生きるためには自分から理想に近づこうと努力するしかない、ってこと。

現実の毎日を生きながらも、理想を諦めない。

ゴミを出したり、税金を払ったり、お世話になっている人にお礼をしたりと、日常生活をちゃんとやる。

そうやっているうちに、諦めなきゃならないことや諦めなくてもいいことがだんだんわかってきます。

日常生活がどうしてもままならないなら、その道は諦めるべきです。

なぜなら、生きることは生活だから。

現実から逃げて理想を追いかけても虚しいだけです。

正直、理想の生活や自分の世界観、人生観を生きるには、自分にとても厳しくしなければならないと思います。

農業をして暮らしたいけど儲からない。

ヨガの先生をしたいけれどそれだけでは食べていけない。

本当にその通りだと思います。でも時々それで何年も何十年も生活している人がいたりもします。

どうやって?

その人たちは、多くの人が捨てられないものを捨ててしまった可能性があります。

社会保険、厚生年金、労災、ボーナス、退職金、長期休暇、海外旅行、結婚や出産、新築の家、高級車、ブランド品などなど…。

それよりもこうありたい、という思いが勝ってしまうともうやるしかないのかもしれません。

私はそうやってきました。あんまり先のことを考えると怖くてなにもできなくなるので、「ちがう未来」を想定しながら生きています。

国民年金じゃ暮らせない、ではなくて、

死ぬ前の日まで元気に働けるように努力する、とか。

そのためになにをしたらいいかな…と考えたのが、「健康でいることが仕事」になることでした。

だからヨガの先生になれたのは本当に嬉しかったです。

とりとめもなく語ってしまいましたが、

いつまで続けられるかはわからないけれど、一度きりの人生なので後悔のないように、できるだけ自分の理想の人生に近づけるよう努力を重ねていこうと思います。

誰もが持っている寂しさや恐怖、諦めや冷徹さ。

それらは否定するものではなく、優しさや喜び、希望や温もりと同等で共存しています。

いいも悪いもありません。

その時のその人にとってどうか、というだけのこと。

そんなことを静かに受け止めていきたいです。

皆さんは、影響を受けた人の本や言葉はありますか?

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